30代で軽度難聴を抱えながらの看護学校挑戦
30歳代の頃、少しずつ耳が聴こえにくくなってきました。
当時、看護学校の受験を考えていましたが、「この耳で本当に大丈夫だろうか…」という不安がありました。
耳鼻科で受験の相談をした日
受験を決意する前に、耳鼻科の医師に相談しました。
「パイロットの資格取得じゃないのなら、大丈夫ですよ」
この言葉に、とても安心したのを覚えています。
不安な気持ちに寄り添ってもらえたことで、一歩踏み出す勇気が出ました。
学習スタイルとクラスでの工夫
看護学校では、クラスで席替えが頻繁にありました。
高校卒業したばかりの若い同級生は後ろの席を好みましたが、私は最前列を希望しました。
理由は、私語や雑音で先生の声が聞こえにくくなるのを避けるためです。
くじ引きで席が決まることもありましたが、そのたびにクラスメイトが快く席を譲ってくれました。
最前列は集中もしやすく、私にとってベストな環境でした。
勤労学生として学んでいたので、若い同級生は授業中に眠ってしまう子も多くいましたが、
私は年齢的に記憶力の衰えを感じており、一夜漬けは難しく、日々の積み重ねが何より大事でした。
子どもたちと一緒に学んだ思い出
歌のテスト前には、自宅で練習すると子どもたちが先に覚えてくれて、一緒に歌ってくれました。
ナイチンゲール誓詞も、子どもたちと声を合わせて覚えたのは大切な思い出です。
看護の学びは毎日が新しい発見で、医療を学ぶことは楽しくて仕方がありませんでした。
准看護師資格取得と入学式の特別な日
准看護師資格を取得した後、看護学校に進学。
入学式の日は、なんと次女の小学校入学式と同じ日でした。
午前は小学校、午後は私の入学式。
しかも、入学式では「誓いの言葉」を代表で読む大役を任されました。
授業や実習での困りごとはほとんどなく、聴診器を使った血圧測定も問題ありませんでした。
卒業後に気づいたことと進路選択
卒業後の研修(卒一研修)では、大きな会場での質疑応答が雑音で聞き取りにくく、苦手だと感じました。
このままでは将来困るだろうと思い、私は個人病院への転職を選択しました。
自分の特性に合った環境を選ぶことは、安心して働き続けるために大切なことだと実感しています。
まとめ
30代で軽度難聴を抱えながら挑戦した看護学校。
年齢や聴こえの不安はありましたが、周囲の理解と小さな工夫に支えられ、夢を叶えることができました。
「学びたい気持ちは、年齢や難聴があっても叶えられる」
この体験が、同じように迷っている方の背中を押せたら嬉しいです。
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