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自分らしく生きる

壊さない親でいたい|娘夫婦を責めずに公的支援につなぐ距離感

―― 娘夫婦をめぐる現実と、私が選んだ距離感 ――

家族の問題に直面したとき、
親として何ができるのか、何をすべきではないのか。
私はずっと考えてきました。

娘の夫は、セルフケアや仕事、生活全般について、本人にとって難しさを抱えている状態が続いています。
その一方で、娘は日々の生活を支えながら、心身ともに疲弊しているように見えました。

親として願うのは、ただ一つ。
この先も、できるなら仲良く暮らしてほしい。
でも、その願いを叶えるために、
「頑張れ」「我慢しなさい」「もう少し支えてあげて」
そんな言葉をかけることが、正解だとは思えませんでした。


夫を悪者にしない、という選択

正直に言えば、
怒りや戸惑いを感じたことがなかったわけではありません。

それでも私は、
娘の夫を“悪者”にしないと決めました。

人を悪者にした瞬間、問題は「支援」ではなく「対立」に変わります。
対立が始まると、
いちばん疲れている人が、さらに追い詰められてしまう。

今はまだ、
人格を否定する段階ではない。
責めるよりも、状態として見たほうがいい。

そう自分に言い聞かせてきました。


義理の親だから見えた、人との距離の取り方

あとから知ったことですが、
娘の夫は、実の父親を嫌っているそうです。
父親も糖尿病を抱えており、
幼少期から育ててくれた祖母は、数年前に亡くなりました。

祖母の葬儀では、
嫌っている父とはほとんど言葉を交わさず、
父の弟――叔父とだけ話をしていたと聞きました。

また、彼には「二番目の母」と呼ばれる存在がいて、
その人は優しく、穏やかな人だそうです。

この話を聞いたとき、
彼がどんな人間関係を選んできたのか、少しだけ分かった気がしました。

近すぎる関係。
期待や評価を向けられる関係。
「こうあるべき」を押し付けられる関係。

そうしたものから、
彼は無意識に距離を取ってきたのではないか――。

だから私は、
義理の親として、
彼に何かを言おうとも、導こうとも思いませんでした。

嫌われていないからといって、
近づけばいいわけではない。
何もしない距離を保つことが、関係を壊さない方法だと感じたからです。


私が「解決しない親」を選んだ理由

親として、
解決したくなる気持ちがないわけではありません。

でも私は、
解決しない親でいることを選びました。

私がやらないと決めたこと

・娘に判断を迫らない
・相談や受診を急かさない
・夫の人格を評価しない
・正論で状況を整理しない

正しいことを言えば言うほど、
娘は「決めなければならない立場」に追い込まれてしまう。

それだけは、避けたかったのです。


見守る距離感で、大切にしていること

私が意識しているのは、次のことだけです。

・判断は娘に返す
・情報は置くだけにする
・成果を求めない
・相談の報告を義務にしない

「行けたかどうか」
「何を言われたか」
「次はどうするのか」

それを聞かないことで、
娘は“逃げ場”を失わずに済みます。


公的機関を使うことは、見捨てることではない

私は、公的機関に相談することを
「最後の手段」だとは思っていません。

家族だけで抱えきれなくなった役割を、
制度や専門職に戻すこと。

それは、
関係を壊さないための、現実的な優しさだと思っています。

今はまだ、
誰かを裁く段階ではない。
だからこそ、
静かに、外の力につながる余白を残しておきたい。


私がなりたいのは「壊さない親」

私は、解決する親にはならない。
判断を急かす親にもならない。

人を悪者にせず、
娘を孤立させず、
外の力につながる“余白”を残す。

壊さないために、前に出ない。
それが、私が選んだ親のかたちです。

この記録が、
同じように悩む誰かにとって、
「それでいいんだ」と思える材料になれば――
そう願っています。

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